東京地方裁判所 昭和32年(行)52号 判決 1959年4月09日
原告 大森増太郎
被告 国
訴訟代理人 家弓吉巳 外一名
主文
原告の請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「一、東京法務局民事行政部供託課が供託年月日昭和三十一年五月十九日、供託者原告、被供託者石川末松相続人石川慶一、供託番号昭和三十一年(金)第五四三八号の供託金二十万円を昭和三十二年一月八日右石川慶一に対して還付した処分は無効であることを確認する。二、被告は右石川慶一から金二十万円を取り戻すべし。三、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、つぎのとおり述べた。
(一)原告は昭和三十一年五月十九日、石川末松相続人石川慶一を被供託者と指定して、手形金二十万円を東京法務局民事行政部供託課に弁済のため供託したが、その供託についてはこれを受け取るにつき「昭和二十八年三月廿七日供託者より被供託者宛振出した約束手形額面弐拾万円也壱通を引渡したことの供託者の証明を要する」旨の反対給付をなすべきことと定めた上、供託書にその旨の記載をした。(二)しかるに東京法務局民事行政部供託課は、被供託者石川末松相続人石川慶一が昭和三十一年十二月十八日前記供託課に提出した東京法務局所属公証人住安国雄作成昭和三一年第一八三二号事実証明公正証書及びこれに添付の約束手形原本送付書写と同書類の郵便物配達証明書とによつて、前記被供託者のなすべき反対給付が履行されたことの証明があつたものとして、原告があらかじめ昭和三十一年六月十九日及び同年八月十六日の両度にわたつて述べた異議を無視し、あえて同人の還付請求に応じ、本件供託金二十万円を同人に対し還付した。(三)しかし右石川慶一が前記供託課に提出した約束手形原本送付書写には、「石川末松相続人石川慶一」とあるべきところを「石川末松相続人石川末松」としてあるほか、該送付書添付の約束手形原本の写には振出日「昭和二十八年三月二十七日」であるべきが「昭和廿八年三月七日」と、また振出人大森張秀とあるべきのが「大森増張秀」とあり、二カ所にもわたつて、本件供託書に反対給付の目的として記載された手形原本と異なる記載があるところからすれば、右写は原本に基いて作成されたものではなく、右送付書作成当時手形原本は既に石川慶一の手を離れて流通に置かれていたものであつて、事実原告が昭和三十一年十二月十七日石川慶一の代理人若山とめから送付を受けた約束手形原本送付書なる内容証明郵便中には本件手形を見出し得なかつたのである。このように前記公証人作成の事実証明と題する公正証書の記載はその内容において右に指摘したような不備を蔵するものであつて、はたして真実右公証人がその証明にかかるような事実を自ら現認したかどうかを疑わしめるに十分であつて、ひつきようこのような公正証書によつては原告の定めた前記反対給付の履行を証することはできないものといわなければならない。しかるに本件供託官吏は不注意によつてこれを看過して漫然右還付の請求に応じたものである。これは被告の機関である前記供託課の係官の重大なる過失により供託法第十条及び供託物取扱規則第五条に違反する行為であるから、当然無効である。よつて、ここに右処分の無効確認を求める。(四)次に前記のとおり原告が右石川慶一からその為すべき反対給付の内容たる手形原本の現実の交付を受け得なかつたのに、係官の重大な過失に基因して供託金は還付されてしまつたのであり、原告としては結局手形金の二重払の危険に迫られるものというべく、被告としては右無効の処分の原状回復として還付金二十万円を石川慶一から取り戻す義務があるから、これを求める。
被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、つぎのとおり述べた。
原告主張の請求原因事実中(一)及び(二)の事実は認める。(三)の事実中、原告主張の手形原本の写の振出の日附が「三月七日」となつていることは認めるが、「大森増張秀」、「石川末松相続人石川末松」とあることは否認する。原告が被供託者から現実に本件手形原本の交付を受けなかつたことは知らない。被供託者の提出した証明書に基き供託金還付請求に応じた処分が前記供託課の重大な過失であること及び(四)の事実はいずれも争う。
およそ約束手形における振出日が手形要件として重要な意義を有するのは日付後定期払手形の満期の標準となり、また原則として一覧払手形のための呈示期間の標準となるところに存するところ、本件手形の如く確定日払手形にあつては右振出日の記載の相違はかくべつ法律上重要な意味をもたないのであつて、本件供託における反対給付の内容としての意味は主として供託者振出の金額二十万円の約束手形が返還されるということになるのであるから、この点からは前記公正証書によつて右反対給付が履行されたことを認めるのは相当であり、たまたま供託官吏が右提出の相違を見落したことは本件還付処分を無効ならしめる底のかしではない。
立証<省略>
理由
原告主張の日時原告がその主張の反対給付の条件を定めて東京法務局民事行政部供託課に手形金二十万円を弁済のため供託したこと、右供託課が原告主張の日時還付請求者の提出した東京法務局所属公証人住安国雄作成昭和三一年第一八三二号事実証明公正証書及びこれに添付の約束手形原本送付書並びに同書類の郵便配達証明によつて供託記載の反対給付のあつたことが証明されたものと認めて同人に対し右供託金還付の処分をなしたことは、いずれも当事者間に争がない。
原告は右公正証書はその記載に不備があるから、その証明力は疑わしく、これによつては右反対給付の履行を証するには足りないのに、右供託課係官がこれを看過したのは違法であり右還付処分は無効であると主張する。
原告が前記公正証書中不実の箇所として指摘する三点のうち第一に、「石川末松相続人石川末松」とあることは成立に争のない乙第一号証(右公正証書)の記載から認められ、他にこの認定を妨げる証拠はなく、第二に振出日の記載に原告主張のとおりのあやまりのあることは被告の認めるところである。しかし第三に、振出人の記載が「大森増張秀」となつていたとの点については成立に争ない甲第四号証の記載によればこれを認め得るもののようであるが、前示乙第一号証の当該記載部分及び証人松本成一の証言によれば前記公正証書に添付された手形写には原告主張のような書損じはなく、「大森張秀」と、正字されており、ただ前記甲第四号証に右のような記載のできたのは前記供託課において、本訴提起前原告から申立てられた異議事件につき法務省に報告するために、還付請求者石川慶一の提出に係る手形の写(乙第一号証)を写したさい係のものがこれを写しあやまり、たまたま原告がこの書面を閲覧してそのまま甲第四号証として写したためであることが認められ、右認定を覆えすべき証拠はない。
よつて本件公正証書について存する前認定の二カ所の不備によつて、この公正証書の証明力が疑わしいものといい得るかどうかについて検討するに、右第一の点は当該公正証書(乙第一号証)の記載全体を通覧すれば本来石川末松相続人石川慶一と書くべきところを誤記したものと認められるし、振出日の記載のあやまりもまた書損と解し得られないことはない。従つて公正証書にこの程度のかしの存することによつて直ちにこの公正証書がそれに記載されたとおりの事実があつたことを証するものとしては疑わしいものといわねばならぬとは解しがたく、ひつきようこれによつては本件反対給付の履行が証明されないと断定することはできないといわなければならない。しからばたまたま本件供託課の係官が公正証書に存する在不備を看過して該書面によつて供託書記載の反対給付のあつたことが証明されたものと認め石川慶一に対し供託金の還付をした処分はかしあることは免れないけれども、右かしは右処分をして無効ならしむる程の重大かつ明白なものとは認められないから、右処分の無効を主張する原告の第一の請求は失当として棄却すべく、したがつてまた右還付処分の無効を前提としてその原状回復を求める原告の第二の請求も、その余の判断を経るまでもなくその理由なきことが明らかであるから棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 浅沼武 菅野啓蔵 小谷卓男)